オリンピック柔道90kg級代表の向翔一郎選手
何かと、良い意味でも悪意味でも目立ってますよね?
- 大学時代は、部活を出禁
- ビッグマウス発言
- 髪型やファッションで異端児扱い
- 向ラップでアンサー
などと、オリンピック選手でこんなにも話題に上がるっなかなかないですw
そんな向翔一郎選手ですが、実力は折り紙つき。
久々に、重量級で銀メダルが狙えるかもしれないと。
日本代表井上康生監督が目にかけているのですが。
昔から、素行が良くないと言われているだけあって監督も頭をかかえています。
そんな、向翔一郎選手はどうして柔道オリンピック代表までなったのでしょうか?
気になったので調べてみました。
向翔一郎の家族は柔道一家だった
向選手のお父さんは、柔道家です。
ご自身でも、道場を開いており子供たちに指導しています。
お名前は、向吉嗣(よしつぐ)さん。
向さんが小学校4年生のころより柔道を教えている柔道家です。
地元の富山県高岡市出身で、高岡第一高校を卒業して名古屋商科大学でも柔道をしていました。
その後は、選手としての情報はありませんのでもしかしたら辞めているかもしれません。
その後、子供2人に(姉、奈都美、翔一郎)柔道を教えていたのですがあまりにもスパルタな教えなので当時は逃げ出していたとか。
向翔一郎選手は、その後に父親と同じ高校の高岡第一高校に進学します。
父の教えもあり、そこそこ強くなっていたのですが。
練習をサボり気味になり、とうとう練習もほとんどしなくなったとか。
そして、今まで負けたことのない同級生から負けてしまいます。
そんなこともあり、今まで以上に真剣に取り組むように諭したのが父である吉嗣さんだったということから。
向翔一郎選手は、実力をつけていったというのです。
そんな、向家の祖父も柔道家だったと情報がありました。
今は、もう亡くなっているようですが。向選手は、今でも尊敬しているとのことです。
お父さんの吉嗣さんは、今でも富山県中新川郡上市町のスポーツ少年団にて子供たちに柔道を教えています。
インスタもやっているらしいです。
ここから、未来のオリンピック選手が生まれそうですね♫
姉の向奈都美は柔道から格闘家に転身
向奈都美さんは、向翔一郎選手より4つ年上のお姉さんですが。
子供のころから、一緒に柔道をされていました。
そのころは、まったく勝てなかったんだとか。
お姉さんは、小学校から大学まで柔道をされていました。
白根一中学から藤村女子校へ進学し、インターハイで2位となる実力までに。
高校卒業後は、山梨学院大学でも柔道を続けました
その後、総合格闘家へと転身をとげ
サンボの全日本選手権大会56kgで優勝、世界大会では4位という成績を収めています。
2015年には、総合格闘技Deepでプロデビュー
2016年からは、現役を退き神奈川県にてパーソナルトレーナーや、フードアドバイザーなどの職に就いており。
その後、結婚して、子供を育てています。
向翔一郎さんの今があるのは、幼少期にお姉さんと始めたの柔道があったから今のあるのでしょう。
お姉さんが柔道をしていなかったら向さんもしていなかったでしょうね。
向翔一郎は中学までは、無名選手だった
向翔一郎さんは、小学校と中学校の途中までは新潟市となっていました。
もしかすると、父親の転勤か何かでしょう。
しかし、お姉さんは白根一中と新潟市の中学校なのでやはり転勤だと思われます。
向さんも途中までは、白根一中だったのではないでしょうか。
その後、またもや父親の転勤で富山県に戻ります。
高岡市内の中学校ではなく、雄山中学校に行ったということなので?
ここは、スノーボードやスキーが盛んな学校です。
中学時代に柔道の成績はみつかりませんでした。
進学先は、地元の高岡市にある高岡第一高校でお父さんと同じ高校です。
高校3年生の時に出場したインターハイを観戦していた日本大学の柔道部にスカウトされたので再び柔道に向き合うのでした。
その結果全日本ジュニア柔道体重別選手権大会90kg級では優勝を飾りました。
ここで、真剣に柔道に取り組んだことがオリンピックに繋がったんですね♫
【まとめ】
向翔一郎選手の家族を調べてみると、オリンピック代表になれたのは家族があったからこそなんだということがわかりました。
もし、小学校のころに父親から指導を受けていなかったら?
お姉さんが柔道をしていなかったら?
色々な、道がある中でオリンピック柔道代表になる意味があったからここまてこれたんですよね!
オリンピック本番では、素晴らしい活躍に期待しましょう。